初期対応の際、カウンセラーさん(以下、K先生)が一緒に対応していただけたことは不幸中の幸いだったと、とても感謝しています。
K先生は、明日平が小学校6年生からお世話になっている方で小学校から中学校にかけての不安定な明日平と私を支えて下さった先生です。
明日平が不登校になって誰とも会わなくなってからは、私が一人でずっと今も通い続けています。
元々不調の兆しはあったとはいえ、放心状態の子供がいきなり早退してきたら私一人であわてふためいたかもしれないし、
次の日も冷静に、明日平をそっとして休ませてあげる対応ができたかどうか怪しいです。
前回の記事にも書きましたが、明日平の様子が尋常じゃなかったので(K先生曰く「乖離状態」)、頼りない母親の私はテンぱっていた可能性が高いです。
「どーしたん?」「大丈夫か?」と、何度も問い詰めしまってたような気がします😱
「初期対応」と言っても、そっと見守って休ませただけなので、大層なタイトルをつけてしまってすみません(笑)
早い話が、学校を休みたいのもOK、クラブが辛いと感じるのも辞めるのもOK、本人が何か話したくなったら(←ここ大事✨)よく聞いて全肯定、を貫くよう心掛けました、というお話です。
今となってはもう慣れっこな対応ですが、今まさに不登校なり始めの方には、何か役に立つことがあるかもしれないので備忘録として残しておきたいと思います。
不登校になる前日、早退してきたところからの我が家での対応を時系列で綴っていきます。
不登校前日から当日にかけて
前回の記事『不登校の始まりはクラブでのトラブルがきっかけ【不登校1年目】』の続きからになります。
早退するという明日平を保健室に預けて、カウンセラーのK先生に同席してもらって担任の先生と私と3人で話をしました。
K先生は、「とにかく休養が必要」とおっしゃいました。
私は「休養というのは、今晩家でしっかり休むことですか?それとも明日学校も休むことですか?明日は休みたいと言っても学校に来させたほうがいいですか?」 と質問しました。
K先生は、明日平君は1日2日では回復するような状態ではないことを担任の先生と私に説明してくださいました。
なぜなら、去年からずっと続いていたストレスだから、数日休んだだけでは回復しないし、ストレスの元(クラブの連帯責任制)を取り除かないと根本解決にならないという訳です。
まず、自宅でゆっくり休むのはもちろんのこと、元気が戻り次第安心して登校できるような環境づくりの、両方を進めておかないといけない、と。
担任と話し合った結果、終業式まであと4日しかなかったので、4日間丸々休ませていただくことにしました。
今では考えられませんが、この時は4日休ませるだけですごく緊張したのを覚えています。
明日平が苦しんでいた学校の問題は学校の先生間で調整してもらい、休養と見守りは保護者が受け持つ、という役割分担も明確になりました。
そんなこんなで、3学期残り4日と春休みの期間でゆっくり心と体を休ませることを、担任、K先生、保護者の私の3者で確認してこの日は明日平を連れて帰りました。
学校に理解してもらうのは無理でした。
ただ、クラブの改善については、学校は前年からずっと消極的でした。
先生同士というのは、お互いの教育方針に強く口出ししづらいのかもしれませんね。
カウンセラーの先生から口添えしてもらっても、私から伝えても全然ダメでした。
担任の先生も「はぁ。そう伝えます。」とは返事していましたが、「そんなこと私に言われても~🙄」みたいな困惑顔でした。
部員全員で連帯責任を負っていたのに、音を上げたのはうちの明日平だけなので、先方(顧問)もきっと???状態だったんだろうと思います。
うちの明日平が規格外のヘタレでこんなことになったんだと思われてるんだろうな~、と思うと悔しかったです。
この時期「規格外のヘタレと大げさな母親」みたいに対応されているのを痛いほど感じて、悲しく悔しい思いをすることが多かったです😩
クラブに関しては、結局「あぁ、これは何を言ってもダメだわ…。」とあきらめて、私の一存で4日どころか強制的に無期限休部させたのでした。
不登校初日~1年の終わりまで
この日の朝、学校を休むことは決まっていたのですが一応「今日はどうする?」と明日平に声をかけました。
すると明日平は、「休む」と一言言って気まずそうに布団にもぐりました。
4日間頻繁に「頑張って学校に行った方がいい?」「怒ってない?」と聞かれました。
「全然大丈夫だよ。この機会に心と体を休めようね。」と私は言い続けました。
この後4日間の本人の罪悪感たるやものすごいものがあり、見ていて気の毒になるほどでした。
身体がしんどすぎて布団から起き上がれない状態なのですが、学校に行けないのを気に病んで身をよじって毎日苦悶していました。
私は涙が出そうになるのを必死で我慢して、「学校を休んでも全然大丈夫なんだよ。ゆっくり休もう。」と、根気よく言い続けました。
「今までよく頑張ったし、しんどかったよな。」と声をかけると、目をぎゅっとつぶってうなづいていました。
この時はまだ正直、内心「ちゃんと回復するだろうか。このまま休ませていて大丈夫だろうか。」と不安でいっぱいでした。
「明日平君は、中1ギャップを乗り越えて学校もクラブも通いとおしました。頑張りすぎる位頑張りました。だから、回復までにはそれと同じ時間かそれ以上の余裕をもって焦らず見守ってあげて。」
という、K先生のアドバイスを胸に、一抹の不安を胸の奥に押し込めていたのがこの時の保護者(私)の対応です。
今日のまとめ
「今まで十分頑張った、と誉めて労う」
「本人の望み通り休みたいだけ休ませる」
「ここまでの状態になるには理由があると理解する」
「本人が話したくなったらじっくり話を聞く」
これらのスタンスで不登校初期を過ごしました。
ただ、あの時この対応が正しかったのかどうか、正直今も分かりません。
なぜなら不登校対応にも色々な考え方があって、人それぞれ対応の仕方が違うからです。
「ゆっくり休ませた方がいい」という考え方もあれば、「3日休むと学校に行きづらくなるから、登校を催促した方がいい」という考え方もあるようです。
確かにうちは最初の危機的な精神状態は脱しましたが、数日休んだその後は学校に行きづらい雰囲気になってしまいました。
でも、数日休んだ位ではリカバリー不可能なほど疲労困憊していたのも事実で、そんな中お尻をたたいて登校させるのは私には無理でした。
それに「話をよく聞いてあげることが必要」とはよく聞きますが、明日平はボーッと抜け殻みたいになってしまっていて、何日間かは話が出来る状態ではありませんでした。
なのでこれが考えに考えた結果、あの時我が家がとった対応でした。
一番辛かったのは明日平なのはもちろんですが、 苦しむわが子を見る私も辛かったです。
もうあんな明日平は二度と見たくないと思いました(…と願いつつ、2年後更にパワーアップして苦しむ明日平を見ることになりますが😭)。
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