ただ今絶賛2度目の不登校中。自閉症スペクトラムの高校生男子&ママの幸せ探し珍道中。

2021年3月14日日曜日

不登校の始まりはクラブでのトラブルがきっかけ【不登校1年目】

中学1年ももうすぐ終わりという3月のある日、明日平は突然学校に行けなくなりました。

中学に入学してからのほぼ1年間、インフルエンザで学校を休んだ以外は、授業もクラブも無遅刻無欠席でした。

元々発達の凹凸がある子なので、中学進学の際、適応できるかどうか心配していたのですが、思ったよりあっさり乗り越えてくれました。 

(中学進学の際の、小学校からの申し送り・引継ぎについては別記事にまとめる予定です。)

しかも本人の希望でクラブ仲間と同じ塾にも入り、「学校の授業と塾と運動部を両立して偉いな~♪」と感心さえしていました。 

今回の記事は、明日平の不登校のきっかけについてです。

兆しは不登校になる半年ほど前から。

不登校の兆しは、1年の夏から秋にかけてのクラブの悩みが出てきた頃からでした。

顧問の先生が連帯責任制をとる方針の方だったので、問題が起こるたびに部員全員で立たされ叱責されるようになりました。

延々と連帯責任で全員で怒られ続けるという状態が年明けまで断続的に続きました。

全員で立たされたり、罰で学校内外の掃除をしたりしてクラブ活動ができない日々が続き、保護者達からの苦情も入りましたが全く改善されず…。

私の方からも、「当事者達は全く気にしていないのに周りのお子さんたちのモチベだけが下がって、このままでは心配です。」という現状は学校に報告させてもらっていたのですが。

夏の間はまだ持ちこたえていたのですが、秋口から少しづつ明日平の様子がおかしくなってきました。

この時はまだ具体的な診断はおりていませんでしたが、明日平には「自閉症スペクトラム」の傾向がありました。

真面目で融通が効かず、言葉通りに受け取ってしまうところがあるため、連帯「責任」を自分事のように感じ自分のふがいなさを責めるようになっていきました。

あれから3年たった今も、「責任」という単語が耳に入るとパニックになります(泣)

よっぽど辛かったのだろうと思います。

でも、小学校からのお友達数人と行動を共にしたいという思いが強いのと、責任感が人一倍強いのとで、クラブを辞めるという選択肢は本人にはありませんでした。

当時の私には、「中学生になったのだから自力で問題解決する力をつけさせたい」という思いもあり、本人の意思を尊重してしまいました。

今にして思えば、あの時無理にでもクラブを辞めさせていたら…、と後悔しきりです。

不登校の原因はクラブ

小学生の時に克服した強迫の症状が再び。

明日平は小学校の高学年の時、手洗いがやめられなくなった時期がありました。

冬に手に粉が吹いて真っ白になり、ビックリして皮膚科に行ったのですが、

「お子さんにはよくあることだから心配しないで。そっとしておいた方が自然に収まるから(^o^)」

という先生のアドバイスをいただき、少し楽観していました。

そして先生の指示通り、手洗いについておおらかに見守るように心がけているうちに、いつの間にか強迫症状が治まりました。

(この後別件がきっかけで、小児科で初めて「自閉症スペクトラム」の可能性を指摘され、児童相談所に相談に行くのですが、その話はまた別の機会に。)

ところが2年の時を経て、小学校の時にもあった強迫の症状(主に潔癖症)が再び中学1年で出てきました。

小学校の時の潔癖が可愛いとさえ思えるほど、強烈な潔癖症が出て徐々に生活に支障をきたすようになりました。

まず、外のものを家の中に持ち込めなくなり、学校や塾の宿題を玄関土間で済ませるようになりました。 

教科書や服など外で使うものを全部、全部玄関に置いておく状態がずっと続き、それはちょっと異様な光景でお客様も呼べなくなってしまいました。

学校から帰るとまず宿題と翌日の時間割を玄関土間で終え、服を全部脱いで洗面所に直行して、長い間シャワーを浴びていました。

ず~っとシャワーを浴びているので時間が経ってしまい、帰宅して宿題をしてシャワーを済ませると、あっという間に塾の時間になってしまい…。

その後塾に行って帰ってきても、また服を全部脱いで洗面所に直行して長時間シャワーや風呂に入っていました。

本人も風呂やシャワーを辞めたいのに辞められず、泣きながらシャワーを浴び続ける日々が続きました。

服もシャワーのたびに全とっかえで、このころは2人家族なのに1日に3回も洗濯していました。

そして外出するたびの手洗いや風呂にこだわりすぎて疲弊してしまい、そのうち塾に行く気力をなくしてしまいました。

親子でいろいろ相談した結果、塾を辞めることに…。

その時は、塾を辞めて夜ゆっくり休む時間を確保できたことで、何とか2学期を無事終えることができました。

学校から帰ってから出かけることがなくなったので、それまで何度も入っていたシャワーとお風呂の回数が減ったのも、心理的な負担減につながったと思います。

後付けの理由ですがもう一つ、この年の夏からジュニアプロテインを飲み始めました。

運動部だったので身長を伸ばしたいから、という理由からですが、今にして思えば、クラブから帰宅してすぐ毎日プロテインを飲んでいたのも体力と気力の温存に役立っていたと思います。

(これが今、「睡眠」と「休養」と「栄養」を特に大切にするきっかけとなっているのですが、この話はまた別の機会に。)

遂に年明け。決定的なトラブル。

年が明けて「不真面目を罰する連帯責任」の懲罰が終わり、やっと本格的にクラブ活動が始まると、今度は部員の「下がったモチベを叱責するための連帯責任」の懲罰が始まりました。

いろんなパターンの連帯責任ペナルティがあったのですが、明日平は「声が小さい」と責めらるのが一番つらかったようです。

「声が小さい」とか「やる気を見せろ」と言われ続けたのですが、チビの特性上、指示が曖昧すぎてどうすればいいか分からなかったみたいで…。

そのころタイミング悪く、学校行事で歌う合唱練習があり、「声が小さい」と学年全体練習でも(全員に向けて)指摘されたようで悪いことが重なりました。

「毎日声を出せと怒られる。出しても出しても怒られる。もっと大きな声ってどれ位のボリュームか分からない」と自宅で泣くことが続きました。

そしてその内普段の「声」も出せなくなって、オドオドして挙動不審ぽくなり、同級生にからかわれるようになりました。

ここでさすがに明日平本人も、もうクラブは無理だと思ったようで、私にクラブを休みたいと言いました。

(辞めるのは自分で自分が許せないので、ひとまず「休む」という選択をしたようです。)

私もずっとクラブなんかやめちゃえばいいのに、と憤慨していたので、渡りに船と即効で顧問に電話しました。

ところが顧問は、「厳しいことを言うようだけど、あえて明日平君には乗り越えてもらってクラブ活動させたい。」と。

私はオバちゃんなので「はぁ?クラブを辞めるか辞めないかはこっちが決めることですけど。」と思ったのですが…。

明日平はクラブを休むことすら許されないと思い詰めてしまい、その日ずっと勉強机の下にもぐって泣いていました。

ある日を境に突然不登校に。

クラブの顧問との全くかみ合わない電話の次の日、暗い顔で学校に行った明日平は、午後になって学校を早退してきました。

後で聞くところによると、クラブの時間が近づくと不安で気分が悪くなったんだそうです。

カウンセリングルームにいったん退避したのですが、先生から「大きなストレスがかかって乖離しているようだ。今日は連れて帰ってゆっくり休んでください。」と言われました。

無表情でボーッとして抜け殻みたいな、一種の放心状態になっていました。

何か聞かれても無言か、「わかりません」とつぶやくことしかできなかったようです。

終業式まであと1週間だったので、 カウンセリングの先生に間に入ってもらって、あと残り1週間全部休むことで学校から了解をもらいました。

そしてクラブも、私の強い意志で休養させることにしました。

(クラブでの問題は前の年から何度も問題になってるので話がスピーディで、最終は上の許可をもらって休部させました。)

1週間学校とクラブを休み、春休みを自宅でゆっくり過ごしたら、2年生はまた元気に登校してくれる、とその時はまだ信じていました。

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