1年生もあと最後の一週間という時に、学校に行けなくなってしまった明日平。
春休み期間中、 クラブも含めて完全休養し、ゆっくり体調を整えました。
学校との話し合いや必要な配慮についての打ち合わせも事前に済ませ、あとは本人が登校するのみです。
明日平も、1年の最後に休んでしまった負い目もまだ感じつつ、久しぶりにお友達に会えるのも楽しみにしていました。
新学期が始まり、始業式に出席。
今にして思えばこのころから既に、強迫の症状以外にも、人目を気にする症状も出始めていました。
この日も、いざ朝になると急に登校するのが怖くなった明日平。
学校に電話して、皆の登校時間と少しずらしてもらい、10分ほど遅刻して学校に到着しました。
そして校門で待ってくれていた1年生の時の担任の先生に付き添われ、同級生が集まっていたクラス替えの紙が張り出されている場所へ。
明日平のクラスの紙の前にいた、仲の良いお友達数人の輪にさりげなく合流させてくれました。
クラスは、前回の記事で書いたように明日平と仲良しのお友達を一人、同じクラスにしてもらえていました。
小学校から明日平をいじってからかう某ヤンチャな子も、別のクラスに配してもらいました。
ただ、やはりすべてが思い通りにというのは無理で、「某ヤンチャな子」の子分格の子が同じクラスになりました。
(これが後々のトラブルのきっかけになるとは…)
始業式を済ませ、午前中で帰宅した明日平。
すごく緊張して学校に行っていたようで、たった2~3時間のことだったのに、かなり疲れた様子。
まるで遠足か運動会から帰ってきたかのような疲れ具合で、私はそれが少し気になりました。
ただ、本人は学校に通う気満々だったので、たくさんの新しい教科書に一つ一つ名前を書いて翌日に備えていました。
「〇〇君と同じクラスになれたよ!」とか、「クラブの先生が遠慮せず休んでいいから、気にしなくていいからって言ってくれた♪」とか、学校の話をたくさんしてくれていました。
そしてついに完全不登校に…。
「やはりゆっくり休ませてよかった、長期休み前に不登校になったのは、逆によかったかもしれない」と思っていた矢先。
ある日、案の定某ヤンチャな子の子分にちょっかいを出されて皆に笑われたことで、緊張の糸が切れてしまったようで…。。
先生にも告げず、突発的に荷物をまとめて学校を飛び出してきてしまいました。
玄関に入るや、
「ママ、家でちゃんと勉強するから。
家でちゃんとした生活するから。
もう学校に行かなくていい?」
と言って、玄関土間に座り込んで号泣しました。
私も涙を抑えきれずに、玄関土間で2人抱き合いながら号泣しました。
明日平はこの日を最後に全く学校に行けなくなり、完全不登校になりました。
中学2年の不登校の兆候として今思うこと
中一で初めて不登校になった時は、本当に突然でした。
クラブのトラブルがあって日々悩んでいたけど、日常生活は普段通りでした。
普段通りといっても、毎日かなり頑張っていたのですが、 はたから見ていて体力面では特に何の問題も感じませんでした。
ある日突然、ぼーっとなって何も考えられなくなってしまい(カウンセラーさん曰く「乖離状態」)、早退してきました。
その後数日間は布団の中にずっといましたが、あとから考えるとこの時は回復は早かったです。
ところが、中二になってから私がずっと気になっていたのは、毎日学校から疲労度マックスな状態で帰ってきていたこと。
トラブルがあって心理的な原因で学校にいけなくなった1年生の時と違って、2年生の時は疲労が積み重なって、気力がポッキリと折れてしまったような印象でした。
心は限界を迎えつつあるものの、でも気力・体力でなんとか頑張っていたのが、もはや体力さえ限界を迎えた、という感じです。
後々になって「慢性疲労症候群」という言葉を知るのですが、あの当時は今にして思えばまさに「慢性疲労」の状態だったと思います。
当時の明日平は、ぼーっとしてユラユラしながらトイレに行ったり、それ以外は寝込んでいるかどちらかの状態で、およそパワーいっぱいの思春期男子とかけ離れた様子でした。
当時の私はまだ不勉強で、明日平の身体の中で起こっていることは具体的には分かっていませんでしたが、明日平の様子を見て「これは大変なことになったな」と思いました。
子供の前では「ゆっくり休もうね♪」と冷静を装いつつ、頭の中は「どうしたらいいんだろうか…。」と大パニックになってしまったのでした。
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